EVENT2025.04.14

スペシャルゲスト「ジウジアーロ氏」の登場に沸く会場【AUTOMOBILE COUNCIL2025】

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「ジウジアーロ展」に飾られた珠玉の10台たち!【レポートその2】

10回目のアニバーサリー開催となった、「オートモビルカウンシル」。“クルマを超えて、クルマを愉しむ。 Classic Meets Modern and Future”をコンセプトに、国内外の貴重な名車が幕張メッセに集結。スペシャルゲストには、あの「ジウジアーロ」氏も登場した!

今回のオートモビルカウンシル最大の目玉と言えるのが、レジェンドデザイナー「ジウジアーロ」氏の来日。今さら説明するまでもなく、数々の世界の名車を手掛けてきたカロッツェリアであり、まさにマエストロ。

その活躍は自動車だけにとどまらず、さまざまな工業製品をデザインしてきたことでも知られる。

オートモビルカウンシル2025では、金曜日と土曜日にトークショーも開催。ものすごい数の聴衆がステージ前に人だかりとなるほどで、その関心の高さ・ジウジアーロ氏の日本での人気ぶりをあらためて痛感した。

金曜日のトークショーでは、自身の生い立ちや若かりし頃のエピソードもたくさん披露された。

ジウジアーロ氏にちなんだ展示コーナー「生ける伝説のカーデザイナー Giorgetto Giugiaro展 世界を変えたマエストロ」にも注目が集まり、氏が携わった10台の名車たちが並んだ!

アルファ・ロメオ・ジュリア・スプリントGT(1963年デビュー)

ジウジアーロ氏の名声を飛躍的に高めた出世作がアルファの新世代中型クーペ、ジュリア・スプリントGT。このクルマを仕上げたのは徴兵中のイタリア軍キャンプ。上官の許可を得て自由時間をベルトーネの仕事に当てたという。丸目のデザインが象徴するように、常に斬新で、かつ美しく機能的な造形を求める姿勢は、20代前半という若い頃からジウジアーロ氏が持ち続けるデザインの特質だ。

マセラティ・メラクSS(1972年デビュー)

スーパーカー戦線へ参戦したマセラティがデザインを依頼したのは、フロントエンジン時代の傑作GTギブリと同じくジウジアーロ氏だった。V8のボーラ、V6のメラクとも同じテーマだったが、メラクが新しかったのはルーフ後端からリヤエンドへ向け斜めのピラーを通し、一見ファストバックに見えてエンジンフードを露出させたスタイルを採用した点。これもクーリング性能を考えての処理だった。

フォルクスワーゲン・ゴルフ(1974年デビュー)

日本にもファンの多い2ボックスカー。直線基調、折り紙細工のようなデザインは、その後多くのフォロワーを生んだ。この常識を覆す新しい造形に、どれだけ多くの人間が憧れたことか。今やVWゴルフは初代誕生から50年以上経っているが、基本フォルムが変わらず、とりわけ2ボックススタイルのCピラーの造形が現代にまで長年受け継がれていることは注目に値する。実用性とフォルムの新しさを両立した、自動車のデザイン史に燦然と輝く傑作であることは間違いない。

BMW M1(1978年デビュー)

ミュンヘンブランドのスポーツカーではあるが、実態はバイエルンとイタリアの混成部隊で仕上げたというのがBMW M1の正体だ。元々レーシングカーとして企画され、ミッドエンジン開発のノウハウを持たなかったBMWが、経営難に喘いでいたランボルギーニを救済する形でプロジェクトがスタート。イタリアンスーパーカーとは少し異なるニュアンスの造形は今見ても見事だ。本来生産を受け持つはずだったランボルギーニは離脱。最終アセンブリーまでイタルデザインが行った唯一の車がこのM1だという。

いすゞ・ピアッツァ(1979年デビュー)

いすゞがジウジアーロ氏に依頼した2+2クーペ。イタルデザインは70年代初頭からAsso di Picche(スペードのエース:アウディ80のランニング・コンポーネンツを使用)、Asso di Quadori(ダイヤのエース:同BMW 320)と量産車につながるコンセプトカー、Assoシリーズを生み出してきたが、その集大成となったのがAsso di Fiori(クラブのエース:いすゞ・ピアッツァ)だった。ウェッジが基調の2ドアファストバックのプロポーションは余計な装飾を排除したクリーンさが際立ち、今見ても新鮮。インテリアデザインも時代を先んじたもので、デジタルメーターやサテライトスイッチを採用している。ヨーロッパ車より美しい日本車の最右翼と言える。

ランチア・デルタ(1979年デビュー)

Asso di Piccheはアウディ80をベースに制作されたプロトタイプだったが、後年そのデザインが進化して生まれたのがランチア・デルタだったことは興味深い。エッジの立った四角いフォルム、先端から後端まで一直線に伸びる水平のキャラクターライン等、共通部分は多い。フィアット傘下に入ってランチアらしさを失いつつあった名門に、エレガントでスポーティ、技術的にも先進性の高いブランドイメージを取り戻させるのが狙いだったと語る。デルタはもちろんその後WRCの世界で大活躍を遂げるが、81年にその4輪駆動モデルのプロトタイプを製作したのもイタルデザイン・ジウジアーロ氏だったという。

フィアット・パンダ(1980年デビュー)

オイルショックや度重なる工場のストライキ等々を理由に新車の開発がままならなかったフィアット。その立て直しのために満を持して1980年に市場投入されたベーシックカーがパンダだ。このモデルの開発にあたりジウジアーロ氏に依頼した条件は「エンジン、コスト、重量」だけで、あとはすべて任された。エクステリア/インテリアの造形だけでなく、基本レイアウトも彼の掌中にあった。だからこそ自由な発想と知恵を存分に発揮できたのだろう。左右非対称のグリル、多彩なシートアレンジ等々、世界的にも大成功へ繋がった。

DMCデロリアン(1981年デビュー)

映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に登場、劇中でタイムマシンとして活躍するデロリアンもジウジアーロ氏の作品だ。メカニズム面はロータスが担当。そういう意味ではアメリカ車のエスプリとも言える。事実FRP製シャシーはロータス・エスプリから派生したもので、その上にガルウイングドアのボディが載る。何より特徴的なのはそのボディパネルにステンレスが用いられていることで、ヘアライン加工された無塗装の状態で出荷された。

イタルデザイン・アズテック(1988年デビュー)

1988年のトリノショーでお披露目されたのがこのアズテックだ。運転席と助手席が独立したツインキャノピーのスタイルが最大の特徴で、両者はインカムを通じて会話する。イタルデザインの共同創設者である宮川秀之さん率いるトリノのコンパクト社がアズテックの独占販売権を取得。50台を生産し日本で限定販売することが決まっていたが、アウディ直列5気筒エンジンのクーリング問題の解決に時間がかかり、その対応に追われるうちにバブル景気が弾けてしまったため、この計画自体が頓挫した。駆動系はデルタ・インテグラーレから流用したフルタイム4WDである。

バンディーニ・ドーラ(2020年デビュー)

2020年ジュネーブショーでデビューする予定だったバンディーニ・ドーラだったが、コロナ禍によってショー自体がキャンセル。オンラインで発表されるにとどまっていた同車が、AUTOMOBILE COUNCIL 2025に現れた。バンディーニは1946年創業のイタリアのスポーツカーメーカーであり、92年に一旦命脈を閉じたものの、現在ジウジアーロ父子が腕をふるうGFGデザインと手を組んでドーラを生産することで、再スタートを切ろうとしている。バンディーニのDNAはライトウェイトのバルケッタであり、EVとして甦ったドーラのデザインもその延長線上にある。総出力536psのツインモーターが前後に収まり、0-100km/h加速約3.3秒を実現。

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