ラリー黄金期に君臨した名車の数々が一堂に!【レポートその1】
10回目のアニバーサリー開催となった、「オートモビルカウンシル」。“クルマを超えて、クルマを愉しむ。 Classic Meets Modern and Future”をコンセプトに、国内外の貴重な名車が幕張メッセに集結。主催者テーマ展示では「THE GOLEN AGE OF RALLY IN JAPAN」というラリーファン必見のコーナーも!
イタリア・トリノ出身の、故ジーノ・マルカーゾ氏が収集したコレクションが展示された、オートモビルカウンシルの主催者テーマ展示コーナー。
マルカーゾ氏は、ラリーストとして知られ、1972年にヨーロッパラリー選手権、ミトローパ・ラリー・カップを優勝、1974年にはイタリアラリー選手権を制覇。晩年は自動車文化・歴史的価値を後世へと伝えることに尽力した、ヘリテージコレクターでもある。
「THE GOLDEN AGE OF RALLY IN JAPAN」と題し、1960年代〜1980年代に活躍したラリーマシンが並んだコーナーは、ラリーファンならずとも必見の内容となっていた!
フィアットX1/9アバルト・プロトティーポ(1974)
ジーノ・マカルーゾ氏が、フェラーリF1のステアリングも握った一流ドライバー、クレイ・レガッツォーニと組んでジーロ・ディタリア・アウトモビリスティコに参戦したマシーン。ベース車両はフィアットX1/9で、ラリーカーの開発はイタリアきってのプロフェッショナルレース集団アバルトが担当。同じフィアット傘下、同じミッドシップレイアウトを採用するランチア・ストラトスが最大のライバルだった。ジーノ・マカルーゾ氏が現役最後に乗ったのがこの「プロトティーポ」で、引退後にこの車をレストアしたことがコレクターに転じるきっかけとなったそうだ。つまりマカルーゾ・コレクションの原点に当たる重要な1台といえる。
BMCミニ・クーパーS(1966)
街中での足として誕生した小型ベーシックカーが、サーキットでもラリーでも無類の速さとポテンシャル を 発 揮 するという痛快な「ジャイアントキリング」ストーリー。全長たったの3m。全幅は1.5m。その潜在的パフォーマンスに最初に気づいたのはF1に初めてミッドエンジンを採用したジョン・クーパーである。彼がチューンしたミニ・クーパー、そしてクーパーSははるかに大型でパワフルなマシーンを相手にモータースポーツ界で暴れまくった。とりわけモンテカルロ・ラリー3勝という輝かしい実績。この展示車両も66年のモンテ参戦車両で、翌67年には1000湖ラリーで優勝したBMCワークスマシーンそのものである。
ランチア・ストラトスHF(1976)
ランチアがWRC(世界ラリー選手権)で勝つことだけを目的に開発した、本気のラリーマシンがこのストラトスHFだ。コクピット背後に搭載するのはフェラーリ・ディーノ用に開発された2.5ℓV6エンジン。未来的なボディデザインはカロッツェリア・ベルトーネのチーフだったマルチェッロ・ガンディーニが手がけた。コンパクトでパワフル、高い俊敏性を誇ったストラトスは、ご承知のように高い戦闘力を発揮。デビューイヤーの1974年からWRC3年連続制覇という偉業を成し遂げる。展示車両は元々マルボロカラーに塗られてグループ5のターボ仕様として生まれたが、のちにグループ4に作り替えられた特異なヒストリーを持つ1台だ。
フィアット・アバルト131ラリー(1978)
フィアットグループ内でのランチア・ストラトスの実力はWRCで抜きん出ていたが、市販モデルの商業的成功に結び付かなかった。そこでフィアットは、販売の基軸を握るフィアット131ミラフィオーリをベースとしたラリーカーを開発する決断を下し、ワークス活動をストラトスから131ラリーへと切り替えた。ここでも設計とチューンを担当したのはアバルトだった。ボディはボクシーな3ボックススタイルではあったが、2ドア化と派手なオーバーフェンダーで武装した。デザインを担当したのはストラトスと同じマルチェッロ・ガンディーニである。ボディはその大部分にFRPを用いることで軽量化を実現していた。展示車は主に英国を舞台に活躍した個体で、78年のウェールズ・ラリーやマンクス・ラリーで入賞した実績を持つ。
ルノー・サンク・ターボ(1981)
ベストセラーカーだった小型大衆車、ルノー5(サンク)の基本シルエットを受け継ぎながら、その1.4ℓOHVエンジンをターボ化して、フロントではなくミッドシップ化したモンスターが「ルノー・サンク・ターボ」である。前後ともオーバーフェンダーを備えるが、それでも大衆車R5をイメージさせる造形はデザインの妙味と言えるだろう。ルノーは70年代F1のパワーユニットにターボエンジンを世界で初めて採用しただけでなく、スポーツ・プロトタイプでもルマンを制した先駆者だが、そのノウハウをラリーカーにも応用して生み出した1台だ。コンパクトなボディが可能とする機敏なフットワークとターボパワーが生み出す特性は、名手に委ねられると速かった。ジャン・ラニョッティが、81年のモンテカルロ・ラリーで優勝に導いたワークスマシーンそのものが展示された。
アウディ・クワトロ(1982)
80年代初頭のラリー界は、4輪駆動に対して懐疑的だった。そこに反旗を翻したのがフェルディナント・ピエヒ率いるアウディである。年々向上の一途を辿るパワーを確実に路面に伝ええるためには4輪駆動こそが正義と判断。センターデフを備えたフルタイム4WDシステムを採用したクワトロの実戦投入に踏み切る。1981年のことだった。その高いポテンシャルはすぐに発揮され、初戦のモンテカルロこそリタイヤに終わったが、それまでは圧倒的なリードを築いてトップを快走していたし、2戦目のスウェディッシュ・ラリーでは早々と初優勝を達成。第8戦サンレモ・ラリーではミシェル・ムートンを初の女性WRCウイナーに押し上げたばかりか、最終戦RACも独走で制した。翌82年は12戦中7戦で優勝を遂げるなど、まさにクワトロイヤーと呼べるビッグシーズンだった。4WDマシーンとして史上初のメイクスタイトルの奪取に成功。展示車はこの年スウェーデンの名手スティッグ・ブロンクヴィストがサンレモでトップフィニッシュを果たしたウイニング・クワトロそのものである。
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